2010年バンクーバー冬季オリンピック代表
桜井美馬 ショートトラック
冬季オリンピック(五輪)代表選手のエピソードです。2010/2/1の「スポーツ大陸」で放送された内容です。
少し整理して勝手に物語にしてみました。
午前6時、
桜井美場の一日はトレーニングから始まる。
「朝のトレーニングをやると夕方の氷上トレーニングで良い滑りが出来る」という。
美馬は現在大学2年生。
全日本ショートトラック 柏原幹史 強化部長に、個人的にコーチを頼み指導を受けている。
柏原は美馬を自宅近くに住まわせて指導を行っている。
美馬が生まれ育ったのは大阪堺市。
中学の時、憧れの神野由佳を育てた柏原に習う為に上京を決意する。
柏原は当時を振り返り、
二度三度と頼まれたが全て断っていた。
それでも頼まれ、最後は柏原の家族に受けるよう言われ引き受けたと。
柏原が美馬に託す大きな夢、
再び日本に栄光の時代を取り戻す事。
かつて技術で日本は世界をリードしていた。
世界が日本の練習方法を学んでいた。
しかし、長野を最後に日本はメダルを取れていない。
そこへ、世界に通用する逸材として美馬が現れた。
全日本チームに韓国のコーチが招かれた。
長野オリンピックの銀メダリスト金善台
4年前のトリノオリンピックでは韓国のメダルラッシュだった。
男女8種目中6個の金メダルを取っていた。
金コーチの最初の指摘は日本の技術の遅れだった。
日本選手の滑りは20年前の技術だと…
「スケートは氷を押して加速するものだが、日本の選手は氷の上を走っているようだ」と
韓国の選手はブレードを押し出す時間が長い。
韓国選手はカーブの頂点からゴールラインまで3歩でたどり着くが、日本選手の場合は5歩。
日本選手はブレードを押し出す時間が短い為、足を小刻みに運ばなければならず、歩数も多くなり走っているように見えてしまう。
日本式の滑りは前方の親指付け根辺りに重心をかけているが、韓国式は後方の踵辺りから前方へ重心が移動し、より長く押し出し強い推進力を得られる。
かつては日本から学んだ韓国、今のその韓国から学ぶ事を決断した。
美馬も韓国式の滑りを練習した。
しかし、
韓国式の滑りになかなか馴染めなかった。
幼い頃から体に染み込ませた日本式の滑りを変える事ができないでいた。
何故、重心が後ろにあるのに前に進むのか…
今までの教えとは全てが真逆で理解できないでいた。
本当に金コーチ言う事を信じて速くなれるのか…
美馬は戸惑っていた。
美馬はスランプに陥った。
自分の滑りを見失った美馬は、
金コーチのアドバイスを受け入れる事が出来なくなっていた。
「金コーチから離れたい、でも離れればライバル達において行かれるかもしれない」
葛藤が続いた。
そして金コーチから新しい滑りの指導を受けてから一年。
美馬は新しい滑りに積極的に取り組むようになっていた。
金コーチから話を聞くうちに重心の位置を誤解をしている事に気づいたのだ。
美馬は重心の位置を後ろにしすぎていた。
それからは自分にあった重心の位置を探った。
そして、
2009年4月 全日本距離別選手権
全日本のライバル達が顔をそろえる。
ここで、優勝し韓国式の新しい滑りに手ごたえを感じた。
しかし、
ワールドカップ開幕戦では、
ラスト5週からのロングスパートについていけず課題を生んでしまった。
金コーチは美馬にもっと内足の左足へ長く乗る様に指導する。
右足の負担を減らし、左足でもっと氷を押し前への推進力を得る為だった。
そして、少しずつ手ごたえを掴んできていた。
2009年12月 全日本選手権 代表選考レース 1500m決勝
美馬は残り5週から早めのスパートを仕掛ける。
あとは最後までスパートが続くか…
ラスト一周、
最後までスピードは落ちない。
優勝。
美馬は500m、1000m、1500m、リレーで代表に選ばれた。
美馬は
「私の場合、期待される事が力になる」
「最後まで何が起こるかわからないので、
たとえ後ろのほうでも、あきらめなければチャンスはやってくると思う」
日本の復活をかけ、進化した若きエースがバンクーバーオリンピックへ挑む。
←お役に立てましたらポチッとお願いしますNHK総合で放送された
オリンピック番組が、
放送後30日間見れるそうです。
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