2010年バンクーバー冬季オリンピック代表
上村愛子 フリースタイル・モーグル
冬季オリンピック(五輪)代表選手のエピソードです。各局の番組で放送された上村愛子の特集をまとめて勝手に物語にしてみました。
1. 上村愛子物語 モーグルとの出会い
2. 上村愛子物語 苦悩のオリンピック
3. 上村愛子物語 バンクーバーへ向けて
4. 上村愛子物語 オリンピックとは?
5. 上村愛子物語 雨と涙のバンクーバー
苦悩のオリンピック
上村はカナダから帰国後すぐにモーグルを始める。
当時、長野オリンピックを控えモーグル選手の強化をはかっていたこともあり、モーグルを始めるの意外なほど簡単だった。
そして、わずか3年でオリンピック選手になった。
1998年の長野オリンピックではそのビジュアルもあり、一躍アイドルとして脚光を浴びた。
2002年ソルトレイクオリンピックの前あたりから、周りの期待に応えられないと、「みんなの心が離れちゃう」と思い始めていた。
メダルを期待されたソルトレイク。
しかし期待に応えられる事はできなかった…。
その気持を知る母は、ゲレンデでその小さな体で上村を守る様に包み込んだ。
この時、母の胸の中で、上村には引退の文字が浮かんでいた。
上村はその時の気持をそのまま母に告げた。
母は、「ものすごく苦しいと思うことを、続けなさいて言うのはないよ」と言い。
上村はそれを聞いた時、「最後の最後の逃げ場はここにある」という事に気づき、「何があっても支えてくれる人がいる」と感じた。
その事が、上村の心にゆとりを作った。
上村はトリノを目指した。
トリノを目指した上村は、エアの強化に取り掛かった。
2003年よりルール改正があり、女子にも3Dエアが解禁された。
これによりエアの得点に差が出るようになった。
上村は縦横360°回転する技「コークスクリュー720」をものにする。
誰よりも空中での完成度が高く、「エアの愛子」と呼ばれるようになる。
2006年トリノでは、
「コークスクリュー720」を成功させた。
上村の競技終了時点で2位。
しかし、上村より難易度の低いエアを行った選手が、得点で上村を上回る。
結果は5位…
またしてもメダルには届かなかった。
競技終了直後のインタビューで、
「どうやったらオリンピックの表彰台に上がれるのか謎です」と言った。
この時、上村は何が悪かったのかも分からないでいた。
母の友人が作った紙の金メダルをもらい、悔しさと感謝から涙があふれた。
競技を終えた上村は、フィギアスケートの荒川静香の金メダルの瞬間を見ていた。
荒川静香の演技を見て、自分に足りなかったものを感じ始めていた。
それは、技の完成度。
NHK総合で放送された
オリンピック番組が、
放送後30日間見れるそうです。
1. 上村愛子物語 モーグルとの出会い
2. 上村愛子物語 苦悩のオリンピック
3. 上村愛子物語 バンクーバーへ向けて
4. 上村愛子物語 オリンピックとは?
5. 上村愛子物語 雨と涙のバンクーバー
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